武蔵野美術大学
observe a portrait
赤羽佑樹 / 大学院写真コース
今日において最も多義的な写真形式であるといえるポートレイト。
そこに何が写っているのか、何を見るのか、何をもってポートレイトと定義するのか。
例えば、人が溢れかえるような大きな街を歩いているとき、その雑踏の中から友人を見つけるとする。誰にでもあり得る経験であるが、なぜたくさんの人の中から友人だけが意識に反応し、何がその人であると判別させるのか。目、鼻、口、その他のディティールであるのか。そうでないとすれば人物の何を見ているのか。「なにか」が友人を友人たらしめていることは確かなのだろう。これは人物が肖像という形式に落とし込まれた場合にも同様であると考えられる。
人物を表象するその「なにか」を見る行為、つまりポートレイトを撮影する行為を通して、ポートレイトの表象性について考察する。