東京工芸大学
枕ことば
郷古 涼佑 / 写真学科
とにかく寒い夜でした。靴を履き、コートを着たまま布団に入りました。
地震から2週間後、カメラを持って仙台空港へ行くと、どこから来たのだろうかと不思議になるほどの量の車や飛行機が折り重なって、地面を見ることができませんでした。足りないだろうと思っていたフィルムは、十分すぎるほどの量でした。
5月、津波に流された写真を洗い、持ち主の元へ返すボランティアを始めました。それは地震の直後に何もできずうずくまっていた私の、故郷に対するせめてもの罪滅ぼしだったのかもしれませんし、私が幾つか持っていた写真の力に失望したくないがゆえの、私自身に対する抵抗だったのかもしれません。
宮城の南端の町で数えきれないほどの写真と接して、私は写真が持っている「記憶のドアノブ」としての役割に気付きました。写真は、人が見てきたものを思い出すときの大きなきっかけとなり、手助けとなっていました。
写真が手元に戻ると、喜ぶ人もいれば悲しむ人もいました。そこに生まれる感情がどうであれ、写真が記憶をほころばせるさまは、私をはっとさせました。私は写真を使って、地震を、なによりも私にとっての故郷を、もう一度整理しようとしました。
この写真たちはつくづく、記憶のコレクションなのだと思います。もちろん、この写真たちも私にとっての「記憶のドアノブ」となってくれるでしょう。写真はまるで枕詞のように、記憶や感情を整理するための手助けとなるはずです。