山形県山形市の市街地の真ん中に緑の大きな四角い場所が在る。山形城址の「霞城公園」だ。ここは昭和53年より現在にかけ、国と市によって最上義光(山形城の原型を築いた武将)が築いたころの城の風景を復元するという大規模な整備が推し進められている(霞城公園整備事業)。私はその「一時代のテーマパーク」のような解き方に大きな疑問を持った。なぜなら、この場所には多くの緑の中に、多層に積み重なった「人と場の関係」が埋もれているからだ。
かつて、人々は河川(馬見ヶ崎川)によってつくり出された扇状地の勇泉帯を拓いて、城を築いた。戦乱の時代が終わり城の必要性が無くなると、人々は城内を田畑へと用途を変えた。日清戦争が勃発すると、第32連隊練兵場へと用途が充てられた。私たちと同じ若者が戦地へ向けてここから発っていった。公園になるまで様々な無視できない確かな「人と場の関係」があったのだ。
そんな事実を現代に生きる人々がふと想像できる様な都市の中のおおらかな森を提案したいと考えた。時代ごとに異なる先人の気配や彼らの生きた状況に思いを馳せられるような設えを随所にさりげなく配置して。歴史は教科書の「文字」や、看板によって説明される「物」だけではない。歴史は時に自身や他者の存在に心働かせられる想像の対象であり、確かな事実であると思う。私はこの公園の設計を通して「歴史の向き合い方」を体系化したいと考えた。
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