卒展レポート

東京工芸大学

東京工芸大学 芸術学部卒業・大学院修了制作展2017

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記念の送り先

桑原 仁太
芸術学部 写真学科

我々はなぜ記念に写真を撮るのだろうか、という疑問から制作を始めました。制作を進めていく中で、記念に写真を撮る、そしてそれを見返す、という行為が、その二つの瞬間のあいだにある、時間的、空間的な、距離を近づけようとする行為であるのではと考えました。以下ステイトメント。

記念の念を送る

家族や友人などとの日々を写真に残すのは、それを見るときのためではないだろうか。つまり写真を撮るとは、《かつてになった「今ここ」》へ想いを巡らせる何時かの何処かへ、「今ここ」を圧縮して送りつけておくような行為ではないだろうか。綺麗にいい瞬間を撮ろうという工夫は、解凍された時の鮮度をなるべく良くさせようという工夫なのだ。この画像に、「今ここ」という念を記しておくのだ。
何時かの何処かへ送る。

写真のある場所

写真は、誰かが見て読み取られることによって、「何らかの模様のついた存在」という不能状態から解放される。そして、写真が質量を持ってこの場所に存在するということによって、《かつてになった「今ここ」》がこの場所では持ち得ない物質性を、わずかながら肩代わりする。
そうして、《かつてになった「今ここ」》はこの場所に立ち現われる。
この場所で受け取る。

記念の送り先

写真を見る今この場所は、《かつてになった、「今ここ」》と、写真のある「今ここ」との間の、遥けし近さで、満たされているのだ。

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