名古屋学芸大学
自明のお理
三尾悠介 / メディア造形学部 映像メディア学科 映画ゼミ
自分自身という存在程いい加減なものはない。個々が持ち合わせる考え方、価値観は、環境や経験などにより簡単に変わってしまう。
その度に人は、それを『私の~』や『僕の~』と個人の主張へと変化させる。
何度も上書きされた自分自身という存在を意識してなお、本当にそれを自分自身言えるのかだろうか。
自分自身という存在程いい加減なものはない。個々が持ち合わせる考え方、価値観は、環境や経験などにより簡単に変わってしまう。
その度に人は、それを『私の~』や『僕の~』と個人の主張へと変化させる。
何度も上書きされた自分自身という存在を意識してなお、本当にそれを自分自身言えるのかだろうか。