女子美術大学
再生
松井靖果 / 短期大学部 造形学科 美術コース(絵画)
この作品で伝えたかったもの、それは自分自身です。それを自己顕示欲だという人もいるし、また自己愛だと言われるかもしれません。(実際、製作している時教授に「自分が絵を描いているとこを撮影するなんて自己顕示欲もはなはだしい」と言われました。)ただ、そんなのはどうだって良く、要するに面白いものを作れば良いんだろ、と割り切りました。もちろん、面白さだけに執着するのではなく、ありのままの、等身大の自分を出し切る事、そして今現在のわたし、《松井靖果》という作品を観てもらうという事を根底に置いて製作にあたりました。
作品のタイトルは《再生》です。この作品のコンセプトは何かと訊かれ、一言で答えるならば、タイトル通り「再生」です。
誰でも、過去の出来事や記憶といったものを再生させながら今を生きています。
白く塗りつぶされたキャンバスに、映像を投影しています。もともと私はこのキャンバスを白く潰すつもりは無く、再生という一つの油彩作品として完成させ、保管するつもりでいました。けれど、描きながら撮影している最中に、この絵を今後どのようにして描き進めれば良いのかわからなくなりました。
それはこの絵に限った事ではありません。わたしはあの震災以降(震災が影響しているかどうかははっきりとはわかりませんが)自分にとって心の底から描きたいと思うものがわからなくなってしまいました。ただ、絵画を専攻している訳ですから何を描けば良いのかわからないなんて甘ったるい事を言っていると卒業出来なくなるので、何かしらテーマやコンセプトを自分なりに作って、それに従い製作していました。この卒業制作もその延長線上で、製作当初は「目に見える色彩と映像によって映し出される色彩の対比」を全体のコンセプトとし、絵のコンセプトは「人間や動物の共存と、それら地球上の生物の死んで生まれての繰り返し=再生」として撮影を初めました。しかし筆が止まり、冷静になって考え、ふと胡散臭い、と思いました。それは理屈をこねくり回しているだけで、実も無い。それを展示しても観てもらう側の人に失礼なんじゃないか。この絵を作品として残すよりも、白くつぶしてスクリーンにした方が面白い、など色々な考えが頭に浮かんできました。
キャンバスを白く塗りつぶした事により、そういった上記の経緯、それからキャンバスそのものを再生させ作品として新たに展開していきました。
そのキャンバスの周りに貼られいた紙は、自分の経験、体験等、その時の自分の心をいっぱいにさせていたもの(対人関係や、進路の事など)を書き殴ったものです。それをそのまま書き移された紙が作品になった時、それは、わたしの経験や感情等が作品として再生された、という事になります。
そして、再生ボタンを押し、映像が再生された事により初めてこれが作品として成り立つ。
すなわち、再生という言葉無しにこの作品は成り立ちません。