卒展レポート

大阪工業大学

大阪工業大学 工学部 空間デザイン学科 第10回卒業作品展

  • 縁側-古代~中世絵巻からみた場として-
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縁側-古代~中世絵巻からみた場として-

水口拓馬
建築歴史文化研究室

【目的と背景】
かつての日本の伝統的な民家(特に農家)には多く、「縁側」が設けられていた。縁は休憩場所、簡単な接客、収穫物の乾燥の場など、さまざまな用途をもっていた。また内外空間の中間にあることから、夕涼みや井戸端会議などの用途も担っていた。この縁側はもともと歴史的にどのような意味をもっていたのだろうか。本論考の目指すところは、ここにある。

古代、特に奈良時代までの建築には縁側はほとんどなかった。しかし平安時代になると、縁側が重要な役割を果たすようになる。このあたりを絵巻物、図誌などから追いかけてみる。

【まとめ】
縁側の使われ方の傾向から、身分問わず縁側は非常に多重化で重要な役割を持っていたが、身分によって縁の使われ方は変化した。しかし、縁側の板目の方向、板や竹など縁の材質によって縁の使われ方に変化はみられなかった。

貴族の場合、寝殿造において天皇は基本的に室内に描かれ、行事など特別な際に庇の間に描かれていることがある。濡れ縁に描かれているものは全くみられなかった。また、従者は多くは庭上、場合によれば濡れ縁に描かれ、庇の間や室内に描かれていることはなかった。つまり、人物は高位につれて室内、内部空間に描かれ、下位につれて庭上、外部空間に描かれている。室内、庇の間、濡れ縁、庭と壁がなくとも見えない壁にそれぞれ区切られていたのではないかと考えられる。

僧同士の場合、ある一人の僧は室内に描かれ、その弟子たちは室内の少し離れたところや、庇の間、濡れ縁に描かれている。従僧は濡れ縁、庭上に描かれている。

僧と天皇が描かれている場合、僧よりも天皇の方が高位のため天皇は室内、僧は庇の間もしくは濡れ縁に描かれていることが多い。

僧と庶民が描かれている場合、この多くは僧が説法をし庶民が聴聴する場面、僧が念仏を唱え庶民が集まる場面、僧に結縁のために庶民が集まる場面、僧の臨終の際に庶民が集まる場面である。これらの場面ではある一人の僧が室内の中心に描かれ、その弟子たちや従僧が傍に描かれている。その周りに庶民が描かれている。庶民は大勢の場合、室内、縁側、庭上といたるところに描かれている。しかし、少数の場合は室内の端や濡れ縁、庭に描かれている。

僧も貴族ほどではないが人物は高位につれて室内、内部空間に描かれ、下位につれて庭上、外部空間に描かれていることが多い。下臈はほとんどが庭上、一部濡れ縁に描かれている。その他の僧は身分問わずどの場所にも描かれている。

庶民同士は基本的に室内や縁側との境はなく、誰でもどこにでも描かれていることが多い。しかし、庶民の従者の中でも身分の低いものは庭上に描かれている。

【今後の課題】
この分析で古代~中世の絵巻物や絵図から当時、縁側が多種多様な使われ方をし、非常に重要なものであったと考えられる。今後は室町時代以降の絵巻物や絵図から縁側の使われ方、捉えられ方を分析し、現在まで時代とともにどのように縁は変化したのか研究する。

(論文賞)

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