「やうやう白くなりゆく山ぎは…」
枕草子にあるように日本独特の視覚と感覚による繊細な表現である「際 - きわ、きは」を自分の感覚によって具象化したいと考え、対象を海辺に求めた。
「きわ」というものは常に存在していて、いつでもすくい採れるモノのように感じていた。しかし実際には存在感があるにも関わらず、少しでも目を離せば見つけられなくなってしまうほど儚いものであった。
「きわ」を拾っていくうちに、もうひとつの感覚に気づいた。それは不変ではなく、無常という感覚であった。今あるものはやがて無くなってしまう、常ならずということである。 それが今、自分の目の前の事象そのものであった。その繊細であるが重要で大切なモノを見続け、感じ続け、見つけ出すことが必要だと考えている。
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